お矢来すずめ
各地の梅林も咲きつくし、春爛漫の季節到来に身も心も弾んでどこかへお出かけしたくなるのは皆さんも同じなんですね~。
一面真っ白だった石鎚山でも雪解けがすすみ少しずつ山肌が現れ遠目にも春の気配が漂ってきています。
私も姫さんのレポートに見た瀬戸内ブルーや、さくらさんの仁淀ブルーに大いに触発されて私なりのブルーを求めて早春の石づっつぁんに行ってきました。
当日、天気予報では何処もかしこも晴れの予想。見上げる石鎚は立ち上る朝の陽気に霞んで見えましたがこれも織り込み済み・・。
いつもの風景で恐縮ですが・・どうしても立ち寄り変わらぬ心を持ってお参りしてからでないと神さんのおわします神域に踏み込めないのです。
夜明し峠から見上げる霊峰は威厳そのもの、圧倒的なパノラマで迫って来ます。
ここまで来るともう下界の霞みも届かぬ澄みきった空気に包まれていました。
すっきりと屹立する四国の雄、天狗岳。
この雄々しくも神々しい御姿に接するとわが身が洗われ、また新たな気持ちになって下界に戻れるのです。
因みに、この石鎚山域に住み暮らしていた住人の間では、少年式を終え大人の仲間入りをする男子は必ずこの天狗岳北壁に半身を投げ出して誓いの宣言をする「覗きの行」がつい云拾年前まで行われていたそうです。
身を乗り出す若者の体半分を支えながら、大人が詰問します・・・
親には孝行をするか・・
嘘はつかぬか・・
女を泣かさぬか・・
だったそうですよ。
神さんの山・天狗岳で誓わされたら、これはもう一生外れない孫悟空の輪っかをはめられた様なもんですよね。
そんなふうな事も去来しながら、見上げた石鎚ブルーに心を奪われたように暫し佇んでいたすずめでした。
お矢来すずめ (水曜日, 21 3月 2018 23:07)
姫さん・・
鬼板せんべい・・まだ売っているというか作られているんですね。
三谷の大判焼き、三谷のソフトクリーム、三谷のデコレーションケーキ、三谷の云々饅頭・・等など古き良き昭和の時代の西条の街に新しいお菓子の世界を広めた功績のあるお店として三谷は今に繋がれてますね。
さくらさん・・
山という存在が持っている自然環境とその圧倒的な厳しさが世俗に生きる者にとっては自身を試し省みるにこの上ない道場なんでしょうね。
また私もそうですが、なかなか真っ正直に一本筋には生きられないのも人の世界で、時には方便として嘘も必要でしょうし、時々の感情だって一定には納まらないし、事情によっては悪いと思いつつも、あとから何で・・と人から不信がられるようなことを仕出かしてしまうんですよね。
十人では収まらず一人十色といわれるような現代人に多様な生き方が求められる時代では、時に自分自身を見直し修正するきっかけとなるものが必要だとおもいます。
それが私にとっては石鎚山であったり、身近なところでは八堂山なんです。
桜餅 (水曜日, 21 3月 2018 00:28)
すずめ様こんにちは。
少し季節が移っただけで、もう銀色から青になってのですね。私は小学校登山では天狗岳に上りました。てっぺんを触って、なんだか特別な気持ちになったのを覚えています。
地元で伝わる成年の式のことは初耳です。神々しい山だからこその誓いですね。
先日知人と話をしたことを思い出しました。
知人曰く、なぜ法や誓いがあるのか。それは人は必ず守れず破ってしまうから。守れないからこそ、誓う。誓っても破ってしまう。それが人間、、、、そんな話をしたところでした。
私は女性で最後の誓いはあれですが、親孝行もせず、まあちょっとした嘘もついたことはあります。
こう書くとろくでもないですが、だからこそ誓うと信じてこれからも神前でお祈りや誓いをしたいと思います。
え?姫 (土曜日, 17 3月 2018 10:00)
早春賦♪
なんて素敵な題名をつけてくれるんでしょう、お矢来すずめさん!!
あの同級会のあとの春の日に 石鎚山に登ったなんて羨ましい。
今日もたぶん青空に石鎚は輝いているでしょうね。
ニッキも懐かしいですね。
生名島生まれ育ちの友人から「西条の石鎚詣りのお土産で 硬いおせんべがあるじゃろ?」と聞かれて「はて?」ああ、三谷の鬼板かな?
で、次に新居浜別子銅山あとへ行ったときに買って帰ると「懐かしい…」と喜んでくれました。
私も懐かしい。
西条のお店でなく、イベント会場のテント出店している男性が、私が子供の頃から知っているおばちゃんにそっくりだったから、一応聞いてみると その息子さんで もちろん今は店主の三谷さんだった。
石鎚山にかーるく登ってしまうお矢来さんが羨ましいが、私も成就社なら行けるかな?
さあ、ウオーキングしよう!
お矢来すずめ (金曜日, 16 3月 2018 23:07)
ひうちさん・・こんばんは。
そうですよ・・石鎚詣でのお土産は決まってニッキでしたね。その木の細い枝だったか根っこだったか?・・を歯でこさげるようにしてしごくと、一瞬何とも言えない刺激が口中に広がるんですが、直ぐにそれが爽やかな清涼感にとって代わり鼻孔までがス~っとして呼吸が楽になるんですよね。
そのニッキを原料にしたジュースみたいなものも街の駄菓子屋さんで売られていて、それらをお八つ代わりに口にして町内を走りまわっていたのを思い出しましたよ。
昭和の30年代が懐かしく蘇えってきましたが、こんな話は少しの若い世代にもなかなか通じてもらえない質素な時代でしたね。
近いうちにまた昭和ガキ連でいつものF君を誘って石づっつぁんに登りましょう!!
ひねもす・のたり (金曜日, 16 3月 2018 21:59)
すずめさんこんばんは。
一月の雪の厳寒の石鎚山からまだ一か月余りしか経てませんが、徐々に春を感じてきますね~。
同級会を終えて2~3日後に登ったのですか。元気もりもりで恐れ入ります。
今からの季節、仕事に、登山に、飲みに、更に忙しくなる姿が浮かびますよ。
ひうち灘 (金曜日, 16 3月 2018 10:33)
すずめさんこんにちは。またまた登っていたのですね。
ブルーに一家言あるすずめさんの事、石鎚ブルーやはたまたひうちが意匠を分けてもらった瀬戸内ブルーと、さすに見ごたえあるブルーが次から次へと出てきますね~。
私が住んでいた朔日市地区では少年式をむかえると、石鎚山に登り草の根ニッキを買って近所に配る風習が残っていたように記憶しています。ニッキをもらってかじったのは覚えていますが、私が少年式の時には登っていません(私だけが登らなかったのかも…残念)。
「覗きの行」の事は知りませんでした。
1,2番目の詰問は分かりますが3番目の○○を泣かさぬか…
なかなかその年で答える方も大変だったと思います(笑)
私も石鎚ブルーが見たくなりました。